月: 2024年2月

20200728 檜原村 払沢の滝

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2020年7月28日 東京都檜原村 払沢の滝

檜原村は、バイクに乗るようになった10代の頃から何度も訪ねている大好きな場所。

時には、奥多摩方面からぐるりと周遊したり、時には山梨方面へのツーリング途中に立ち寄ったり。
もちろん檜原村自体を楽しむために訪れた事も何度となくある。

有名な払沢の滝以外にも、大小さまざまな滝が点在するので、地図を片手に滝巡りをしたり、道の途中出会った神社でただただぼんやり過ごしたり、そういう場所。

そんな馴染みのある場所だけど、この10年以上1度も訪ねていなかった事に気付く。

そして久しぶりに訪れたのは、コロナ禍最中の2020年7月。
緊急事態宣言は出ていない時期だったけど、まだまだ街には人が少ない頃。

元々家の中で過ごすのは大好きだし、生まれてこの方退屈という事を知らない性格なので、ステイホームはまったく苦痛じゃないのだけど、家の中にいるのと同じぐらい自然の中で過ごすのが大好きなので、久しぶりに檜原村を訪ねる事にした。

と言っても、自宅でお昼ご飯を食べてからのんびりと出かけたので、現地で過ごしたのは1時間~2時間といったところ。
とりあえず払沢の滝周辺だけを歩いて、久しぶりの檜原村を楽しむ。

滝への入口付近にある駐車場に車をとめ、遊歩道を歩く。

滝の近く、良い空気の中にいると、体の中が洗浄されるような、心まで浄化されるような感覚を味わう事が出来る。
実際に、体は如実に元気になっていて、足取りが軽くなっている事を実感する。

滝の近くには意外と人がいたけどそれぞれに距離を保って楽しんでいる様子。

短い時間でも大きな満足感を味わえたけど、今度は、午前中に家を出て、もっとゆっくり、のんびりと檜原村を周りたい。


「お出かけの記録」

Kevin Ayers『Sweet Deceiver』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1979

Kevin Ayers『Sweet Deceiver』(1975年発売)

今日、2月18日は、Kevin Ayersの命日という事で、Kevinさんの1番好きなアルバムを取り上げます。

Kevinさんの事はこれまでにも、以下のように何度もブログで取り上げていて
Kevin Ayersの思い出 その1
Kevin Ayersの思い出 その2
Kevin Ayersの思い出 その3
Kevin Ayers – Unfairground
間違えいなく「私を形成しているもの」の中でも大きな存在。

このアルバムに出会ったのは、というか買ったのは、高校を卒業して、バイトもし、これまで欲しくても買えなかったレコードを割と気軽に買えるようになった頃。

その辺の事情は「Kevin Ayersの思い出 その1」に詳しく書かれているので、ここでは省きますが、とにかくやっと手に入れたKevinさんのレコード。
もちろん聴きまくりました。

このレコードに初めて針を落とした時に、1曲目「Observations」の激しいイントロを聴いた瞬間、ちょっとたじろいだのだけど、ほどなくKevinさんのヴォーカルが入ったとたんに曲調が変わり、大げさに言えば世界も一変したような、不思議な感動を味わった。Kevinさんの声、その包容力。Kevinさんの世界に包まれたような感覚。
そこでもうメロメロです。

2曲目「Guru Banana」は、イントロのクラリネット(かな?)でそのすっとぼけた世界に引き込まれていきます。Kevinさんのこういう所がたまらなく好き。歌っている内容はけっこう皮肉が効いていて辛辣なのに、音はすっとぼけた感じ。素敵。

つづく3曲目は、このアルバムで(いやもしかしたらKevinさんの曲の中で)1番好きな曲「City Waltz」
まあWaltz系の曲には、元々ちょっと弱いんだけど、各楽器の音色や醸し出すムード、そしてもちろんKevinさんの歌。声。さらには子供たちの後追いコーラス。こういうのにも弱い。本当に大好き。

2013年2月にKevinさんの訃報を知り、その少し後に、ルイス稲毛企画のLIVEに、ソロの弾き語りで出演したのだけど、その時に、ルイスと2人で、この曲を演奏しました。1番好きな曲をやりたくて。
前日に、電話でコードの確認や打ち合わせをして、あとは本番一発。

4曲目「Toujours La Voyage」は、Elton Johnのピアノが美しく印象的な、スローなバラード曲。
ちょっとダルっとした感じが支配する世界。こういうのもKevinさんならではの魅力のひとつ。
ピアノに絡むOllie Halsallのギターも素晴らしくて、みんなでKevinさんの世界観を作り上げている感じが素敵。

B面に移り、1曲目の「Sweet Deceiver」は、(Kevinさんにしては)ストレートな感じのロック・ナンバー。これがまたかっこいい!この曲も大好きで、あるイベントでこの曲をカヴァーして・・・というお話は「Kevin Ayersの思い出 その2」に詳しく書いてあります。これでルイス稲毛との縁が生まれたという話。

このアルバム好き過ぎて、1曲1曲、全部こんな感じで感想を書きたくなるけど、あまり長くなるのもなんなので、ここから後の曲もすべて素晴らしい!という事で。

ちなみにElton Johnは全部で3曲に参加していて、どれも素敵な演奏を聴かせてくれます。

なんにしろ、このアルバムは、自分にとって色々な意味でかなり重要な一枚。


※ジャケット画像はAmazonから拝借

The Batles『The Beatles/1962-1966』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

The Batles『The Beatles/1962-1966』(1973年発売)

ビートルズの音楽に衝撃を受け、はじめてしっかりと意識したのは、中学1年生の時。
(たぶん)放課後、放送室に何人かで集まり、SK君が持ってきた『The Beatles/1962-1966』を聴いた時。

その時聴いたのは、たしかA面だけだったのだけど、とにかくかっこいい!と思った。
「She Loves You」が流れた時には、小躍りしたくなるような、体が勝手に動き出すような感覚を覚えた。
さらに「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を聴いた時の感覚が忘れられない。
胸の高鳴りと、キュっとするような切なさが同時に押し寄せてくるような不思議な感覚。

A面の中で特に深く印象に残ったのは、この「抱きしめたい」だった。

高校生になってから読んだ小林秀雄『モオツァルト』の中に「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」という有名なフレーズが出てくるのだけど、もしかしたら、その感覚ってビートルズにも当てはまるのでは?それが「抱きしめたい」をはじめて聴いた時の感覚なのでは?と感じた事を思い出す。

このベスト盤(赤と青の2セット)が発売されたのが、1973年5月。
SK君は、まだ出たばかりの(お兄さんが買った)レコードを学校に持ってきて聴かせてくれたのだ。
「これ、すごいぞ!かっこいいぞ!」とみんなに聴かせたくてたまらなかったのだろう、と今は、その気持ちがよく分かる。

この時感じた、胸の高まりや切なさ、不思議な感覚は、心の中に熾火のようにくすぶり続け、中学2年になった時、同級生でビートルズの大ファンAH君との出会いによって、一気に燃え広がるのだった。


※ジャケット画像はAmazonから拝借

私を形成しているもの 年譜

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


「私を形成しているもの」として取り上げてきたもの達を年代順に並べて、索引のような形にしてみました。
これまで、年代にはこだわらず思いつくままランダムに取り上げてきました。
これからも、そのスタンスは変えずに、気ままに更新していくつもりなので、この年譜の空白年が埋まっていくかも知れません。埋まらないままかも知れません。

1967

ULTRA SEVEN

1968

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

1969

オックス 「真夏のフラメンコ」(「ロザリオは永遠に」B面)

1971

映画『大脱走』
新潮文庫版 ヘミングウェイ「老人と海」

1972

春陽文庫の江戸川乱歩

1973

頭脳警察『頭脳警察3』
映画『大空港』
映画『猿の惑星』
映画『エクソシスト』
映画『あの胸にもういちど』
The Batles『The Beatles/1962-1966』
印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici

1974

John Lennon『IMAGINE』
Ringo Starr 『Goodnight Vienna』
QUEEN 『Sheer Heart Attack』
John Lennon「真夜中を突っ走れ」
小松左京『さらば幽霊』

1975

映画『哀しみの街かど』
柳田国男『遠野物語』
PINK FLOYD そして Syd Barrett
井上陽水 『陽水II センチメンタル』
George Harrison 『Extra Texture』
Wings 『Venus and Mars』

1976

David Bowie『Diamond Dogs』
The Rolling Stones『BLACK AND BLUE』
Bob Dylan『Desire』
ENO『ANOTHER GREEN WORLD』
Frank Zappa『Apostrophe(‘)』
Al Kooper 『Act Like Nothing’s Wrong』
Jackson Browne『The Pretender』
Lou Reed『BERLIN』
小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
映画『小さな恋のメロディ』

1977

T.REX『Dandy In The Underworld』

1978

Kate Bush『Lionheart』
映画『2001年宇宙の旅』

1979

シーナ&ロケッツ『真空パック』
Kevin Ayers『Sweet Deceiver』
RCサクセション 「ステップ!」

1980

「不思議の国のアリス」(東京図書版)
The Police初来日公演

1981

「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)
筒井康隆「遠い座敷」

1982

藤 真利子『狂躁曲』

1983

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

1984

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

1986

五味康祐 『西方の音』

1988

小泉今日子「夏のタイムマシーン」

1991

R.E.M. 「Losing My Religion」

1993

グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

1994

1994年 日本グランプリの阿部典史
鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra

1996

マウリツィオ・ポリーニ/1996 ミラノ スカラ座

2002

Red Hot Chili Peppers『By The Way』

2003

MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE
Radiohead – SUMMER SONIC 2003

2004

Mick Ronson 『Slaughter on 10th Avenue』

2005

『半島を出よ』村上龍

2010

映画『マトリックス』
映画『幸せはシャンソニア劇場から』

2012

ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani

2016

映画『シン・ゴジラ』

2018

映画『リトル・フォレスト』

2020

映画『青いパパイヤの香り』



2024年2月前半に観た映画

油断していました!今月は2月。14日で前半終了でした。
最近、あまり映画脳じゃなかったせいもあり、観た映画も少な目です。


☆印は、映画に対する評価ではなく、あくまでも個人的な好き度ランク。
☆5つ=大好き、☆4つ=好き、☆3つ=ふつう、☆2つ=ちょっと苦手、☆1つ=苦手
という感じ。


2024年2月前半に観た映画

Read More

柳田国男『遠野物語』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1975

柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)
柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)

※画像は自分の蔵書

柳田国男の『遠野物語』、この本を初めて読んだのは中学生の頃か、高校生になってからか。
今、文庫本の奥付を見ると「昭和四十九年四月三十日 改訂十二版発行」となっている。
49年4月といえば、私は13歳。読んだのはそれ以後。中3~高1ぐらいの時期に読んだように記憶しているので、大体一致。とりあえず上記、初体験の年は1975としておいた。

日本の民話や伝説には、子供の頃からとても興味があって、一体なぜ興味を持つようになったのかと考えてみると、もしかしたら『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』という水木しげる作品の影響が一番大きかったのかも知れない。

また以前、このブログでも取り上げた『大魔神』や『妖怪百物語』といった映画(「『大魔神』『妖怪百物語』を50年ぶりに観た」参照)も、民話や伝説への興味を後押ししていたような気がする。

マンガ雑誌の特集記事で妖怪たちのプロフィールが紹介されると、食い入るように読んでいた事を思い出す。『妖怪なんでも入門』なんていう子供向け書籍も持っていた。

その延長線上で手にしたのが、この『遠野物語』。

岩手県の山間の里、遠野地方には、数多くの民話や伝説が言い伝えとして存在し、それを柳田国男が収集し書き記したもの。

今では有名な「ザシキワラシ」も登場する。
「ザシキワラシ」を全国区にしたのも、この本がきっかけ?

有名な妖怪(?)だけではなく、今、パラパラと適当にページを繰っただけでも「コンセサマ」「ゴンゲサマ」「ヤマハハ」などなど、色々な名前が目にとまる。
そんな、神様?妖怪?妖精?のような存在についてや、不思議な出来事について語られているのだ。
面白くないわけがない。

この文庫本には『遠野物語』本編以上のヴォリュームで『遠野物語拾遺』が併載されている。
『遠野物語拾遺』の成り立ちについては、解説に書いてあって、簡単に言ってしまえば『遠野物語』の続編として企画されたもの。(その他事情は色々あるので、それ以上知りたい方は、各自調べてください)
『遠野物語拾遺』では、箇条書き的に、言い伝えが紹介されていて、その数二九九篇。
古くからの言い伝えだけではなく、近年の話もあれば、維新の時に、徳川方の一族が逃げ延びて来たという話など興味深い話が多く、どこから読んでも楽しめる。

これを読了して以後、角川文庫版の柳田国男著作は、折々に買って読み続けて来た。

コンプリート癖はないので、全冊あるわけではなく、今、手元にあるのはこれだけ。
特に好きだったのは『桃太郎の誕生』かな。
これ何のタイミングだったか、新刊みたいに書店に平積みされていたものを買った憶えがある。
文庫の初版は昭和二十六年なのに。なんかフェア的なのをやっていたのか?それとも記憶違い?

なんにしろ、これらの本を読んできたおかげで、その後に触れた色々な物語の見方が深まったり、それ以前に出会った物語をさらに深く理解出来たり、という恩恵があった。
また民話や伝説を元にした物語を面白がれる心の土壌が豊かに育ったような気がする。

例えば、手塚治虫『鬼丸大将』、永井豪『手天童子』といったマンガたち。

何よりも「『遠野物語』を読んでいて良かった!」と思ったのは、高橋克彦の『総門谷』を読んだ時。総門谷のある場所は、岩手の早池峰山。
『遠野物語』を読んでいたので、ものすごく馴染みのある地名。行った事はないけど。
他にも馴染みのある名前や場所、逸話が出てきて、胸躍らせながら読んだ。

昨日書いたブログ(「車浮代『気散じ北斎』」)で触れた、伝奇物が好きという土壌が形成されていったのも、子供の頃から連なる民話、伝説好き~柳田国男はじめとする民俗学への興味の広がりも大きく影響しているのでしょう。

この後も、この分野への興味は続き『死者の書』『古事記の研究』など折口信夫の著作や、最近のものでは、小松和彦の『異界巡礼』『日本妖怪異聞録』などなど、目にとまるものを読み続けてきています。
特に好きなのは、江戸~東京の結界を扱ったような内容で、加門七海『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』など読んだのだけれど、内容的に物足りないというか、薄いというか、若干残念な感じ。何か面白い本があったら教えてください。

話がそれたところで、この項、ここまで。



車浮代『気散じ北斎』

作家で江戸文化研究家の車浮代さんから、新刊『気散じ北斎』を贈っていただきました。
車さんとは、以前から縁があり、最近もちょっとした仕事を手伝っていたので、そのお礼にいただいたものです。

車浮代著『気散じ北斎』実業之日本社刊

昨夜から読み始めてまだ50ページほどしか読んでいないのですが、既に話に惹きこまれています。
と同時に色々な気持ちが溢れています。

まず驚くのは、北斎の娘、お栄が連れ子だったという設定。
TVの特集番組などで聞く逸話や、杉浦日向子のマンガ『百日紅』で知る、お栄は、北斎譲りの画才を持つ北斎の三女というもの。ふつうにそれを受け入れていたので、これには驚きました。

車先生が調べた文献などに、連れ子と考えられる何かがあったのか?それとも全くの創作なのか?その辺は分かりませんが、連れ子として北斎の元にやってきたお栄が、北斎に心を開いていくまでの描写がとても生々しく心に迫るもので、本当にこういう事があったのかも知れない、という気持ちになっています。

これって、もはや時代物を超越した伝奇SF的な話としても楽しめる話ですよね。
ちなみに私、伝奇物といわれるような話が大好きで、一時、かなり読みまくっていました。
高校生ぐらいの頃に読んだ半村良『石の血脈』『産霊山秘録』あたりから嵌り始めて、山田正紀や高橋克彦の諸作品、などなど。
小学生時代に読んで大好きだった萩尾望都のマンガ(原作は光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』もこの分野だと知る。小説を読んだのは高校生の時。

そんな中、極めつけに好きなのは荒俣宏『帝都物語』。
首都東京を舞台に、実際にいた学者、建築家、政治家、作家、実業家たちが数多く実名で登場する。話自体は荒唐無稽な部分もあるのだけど、そこに登場する数多くの出来事は、実際の歴史に即した実際に起きた出来事や事件に基づいたもの。「これって本当にあった話なの?」という虚実の接点が大好きで、ものすごく長い小説なのに、3回ぐらいは通して読んでいるはず。

そんな大好きな分野とも、ある意味、通じるものがあると感じています。
わくわく感。

この本の帯には、車さんの著作『蔦重の教え』の主人公、蔦屋重三郎が登場する事や「蔦重や写楽、歌麿らとの交わりのなかで浮かび上がる、驚愕の真実とは?」なんて事も書いてある。
その重要キャラクターがまだ誰も登場していない、冒頭50ページの段階で、このわくわく感ですよ。

遠からぬ未来、車浮代ユニバースがさらに広がっていき、各小説の登場人物が交錯するような展開すら想像できます。
そうなったら、ある意味、私の大好きな『帝都物語』の江戸版ですね。と今思った。
魔人とか妖怪とか(たぶん)出てこないけど。

と同時に、荒俣宏『帝都物語』にしろ、車浮代『気散じ北斎』にしろ、その時代に対する憧憬と深い造詣、人物たちに対する思い入れがあり、しっかりと調べ上げ、そして自分なりに脚色し物語を紡ぐ。その行為にとても大きな「愛」が感じられるのです。

「愛」のない行為は、何につけてもダメだな。



と、話がそれそうなので今日の所は筆を置きます。
(キーボードから指を離します)


20230427 さいたま緑の森博物館

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2023年4月27日 埼玉県入間市 さいたま緑の森博物館

ほぼ地元、入間市にあるさいたま緑の森博物館。
何年か前から存在は知っていたけど、行った事はありませんでした。

「緑の森博物館」と言っても、建物は入口にある案内所的な所(下の写真)だけ、あとは里山全体がフィールドミュージアムという事です。

ここは自宅から車で20分ぐらいの場所。
車で自然を求めて出かける時には、飯能~秩父方面、青梅~奥多摩方面へとハンドルを切ってしまう事が多く、これまで、ここに来るという考えは浮かびませんでした。

また自宅から歩いて行ける範囲にも、里山散歩的な事を楽しめる場所が点在しているので、ちょっとした散歩は自宅周辺で充分という面もあり。

まあ、とにかくはじめて行きました。


まずは、案内所で地図(パンフレット)をもらって、里山散歩。

地図を見ると、かなり歩きごたえのありそうなコースが2つ。
しかし、午後2時過ぎから、ぶらりと出かけてきたので、それほど広い範囲を歩き回れそうにはありません。とはいえ「湿地帯」や「急な坂道」もあってそこそこ楽しめそうな「里山満喫コース」を選択。

少し歩くと、案内板に「狭山湖外周道路」の文字が。
狭山湖方面に行く時って、電車か車が当たり前だったのだけど、ここから歩いても行けるって事か。
ちょっとそそられる。

けど、この日は「里山満喫コース」を。

空が広くて気持ち良し。

この辺は「トンボの湿地」というエリア。

平日の午後3時頃という事で、ほぼ誰もいない。
と思ったら、大きなレンズをつけたデジタル一眼レフのカメラで、(たぶん)野鳥などを撮っている歳の頃なら50歳前後に見えるおじさまと遭遇。特に話しかける事もなく横を通り過ぎる。
心の中で「一眼のカメラいいなぁ」と思いながら。
ちなみに最近の私の投稿はすべてiPhone11で撮ったもの。

木漏れ日が心地良い。

ゆっくりと歩いて1時間半程度の里山散歩。
短い時間ではありますが、満喫しました。

もっと時間をかけてゆっくり歩いてみたい所です。
いつかまた。


「お出かけの記録」

PINK FLOYD そして Syd Barrett

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1975

PINK FLOYD – Wish You Were Here 「炎 ~あなたがここにいてほしい」(1975年発売)

中学生時代に、手にしたPINK FLOYDの2枚のアルバム。
当時の最新作『炎』
そして1stアルバム『サイケデリックの新鋭』のことを。


まずは、PINK FLOYD – 炎~あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)の話から。

このアルバムは、私がはじめてほぼオンタイム(日本発売時)で購入したPink Floydのアルバム。

その時私は、中学3年生。
ジャケットをシールドした濃紺のビニールを開けた時のワクワクした感覚は今でも心の中に残っています。

そして、このアルバムの発売に合わせて、NHK FM、渋谷陽一の「ヤングジョッキー」(だったと思う)で放送されたPink Floyd特集。
この番組も私にとって、とても大きな意味を持つものでした。

それは、このアルバム『炎』の特集であると同時に、Pink Floydが「あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」と訴えかけた相手、Syd Barrettに焦点を当てた特集。

アルバム1曲目に収録された「狂ったダイアモンド(Shine On You Crazy Diamond)」、そして前述の「あなたがここにいてほしい」は、Pink Floyd結成時のリーダー的存在でフロントマン、精神に異常をきたしてグループを離れたSyd Barrettへあてたメッセージ。

さらには、一作前のアルバム『狂気(The Dark Side Of The Moon)』も、またSyd Barrettへのメッセージ的内容を含むアルバム、という事で、このアルバム『狂気』から「狂人は心に(Brain Damage)」

これらの曲は、訳詞(渋谷陽一が朗読)と共に紹介されました。
(他に『原子心母』から「If」も)

曲が作られたバックグラウンドや、歌詞に込められた思いがよく理解出来て、中学生にとって、とてもありがたい番組でした。

さらに、Syd Barrettのソロアルバムから「むなしい努力(No Good Trying)」「あたりまえ(It Is Obvious)」の2曲が取り上げられました。

それが私にとって初めてのSyd Barrett体験。
この2曲に、私はすっかり魅了されてしまったのです。

キラキラしてねじれたポップソング。
他には感じられない「何か」が、Syd Barrettの歌には確かにありました。

この番組を録音したカセットテープを、当時、何度聞き返した事か。


そして、少ししてから、Pink Floydの1stアルバム、Syd Barrettがリーダーシップをとった唯一のアルバム『サイケデリックの新鋭(The Piper At The Gates Of Dawn)』を購入。

(のちに『夜明けの口笛吹き』という、より原題に近い、素敵で詩的な邦題に変わりますが、私が購入した物は『サイケデリックの新鋭』帯)

PINK FLOYD – The Piper at the Gates of Dawn『サイケデリックの新鋭』(1967年発売)

これを買う以前に、レコードで持っていたのは『炎』だけでしたが、『狂気』他数枚は友人から借りて聴いていました。

しかし、この1stアルバムから流れて来た音は、それまで聴いていたPINK FLOYDとは全く違う音、全く違う世界。
中学生の私は、Syd Barrettが作る奇妙でポップでキラキラしているのにどこか牧歌的でもある世界に嵌っていったのです。

『狂気』『炎』へと繋がるSyd BarrettのいないシンフォニックなPink Floydも好きでしたが、Syd Barrettが描き出す唯一無二のポップ音楽は自分の中で大きな位置を占めていくのでした。


※私が後に結成したバンド(ユニット)不思議なバレッツは、Syd Barrettが描く音世界への憧憬からつけた名前

※私が購入したPink Floydの1stアルバム『サイケデリックの新鋭』には「エミリーはプレイガール」が収録されていました。
ところが、後に買った『ナイスペア』(1stと2ndの2枚組)には「エミリーはプレイガール」が収録されていません。なぜ!?
「エミリーはプレイガール」はシングル曲で、本来はアルバムには収録されていない曲。「サイケデリックの新鋭」にはボーナストラック的に収録されていた、というのは後に知った話。


1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1984

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

後にも先にも鈴鹿まで出かけて8耐を観たのは、この年だけ。
なんせお金がかかりますから・・・
友人の車で出かけました。

それ以外の何年かは、青山にあるホンダのショールームや多摩テックで(パブリックビューイング的な物を)観ていました。

では、なぜ、この年だけは、鈴鹿まで行こうと思ったのか!?

それは、コーク・バリントンが出場したから。

では、コーク・バリントンとは?

ちょっと長いけどWikiから抜粋引用します。

南アフリカ(生れはローデシア)の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で通算4度の世界チャンピオンに輝いたライダーである。

数年間のスポット参戦ながらヤマハの2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けたカワサキは、彼をファクトリーチームに迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、カワサキの期待に応えて1978年と1979年、激戦区である250ccと350ccの両クラスで2年連続ダブルタイトルを獲得した。

1980年、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンはモノコックフレームという当時としては革新的な構成を持つニューマシン、KR500で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。

結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは1982年を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったためそのときには他チームの翌年陣容が決定済みでバリントンは他チームのシートを得られずグランプリから引退した。

2年連続、250と350の2クラスで、世界チャンピオンですよ!カワサキで。

そしてKR500!
当時としては革新的な構成を持つニューマシンKR500!
結果は残せなかったけどKR500
プラモデル作りました!

何か特別なチャレンジをする物が好きなんです。(例:楕円ピストンしかも4ストのNR500とか)
バイクに限らず他の分野でも。

しかし、コーク・バリントンの事は、雑誌の中でしか知りませんでした。

でも、その経歴と、インタビューなどで知る人柄に勝手に惚れ込んでいました。
当時の私は(バリントンと同じ)Nolanのヘルメットにカワサキのバイク。

そんな、私にとって特別な男が、8耐出場!しかもカワサキのバイクで!!

プロレスで言えば「まだ見ぬ強豪」
この目で見ないわけにはいきません。

ただ、カワサキのバイクと言っても、カワサキは8耐にはワークス(メーカーが直接運営するチーム)参戦していません。
月木(ツキギ)レーシングという(カワサキ車用のマフラーなどを作っている)コンストラクターチームからの参戦。

この時のコーク・バリントンの雑誌インタビューを読むと、カワサキに対する恨み言(GP撤退~引退の顛末)など一切なく、むしろカワサキのバイクでレースが出来る事を本当に楽しみにしている様子で、それだけでも涙が出ました。

さてレース。

前日までに行われた予選の結果は、コーク・バリントンをもってしても、ワークス参戦しているHONDAやSUZUKIには力及ばず、それでも12位と大健闘。

決勝レース、主にコーク・バリントンを(目で)追い続ける私。

お!・・・・・・・・・・・・・・・・お!・・・・・・・・・・・・・・・

と何度か私の前を一瞬で通り過ぎるコーク・バリントンの姿を確認し、小さく心の中で歓声をあげる。

しかし、ほどなくその姿は見えなくなった。

場内アナウンスでリタイアした事を知る。
今、リザルトを確認したら15周でのリタイア。

そこからの長い7時間ほどの事はほとんどおぼえていません(笑)

そんな1984年の夏でした。