昨日は7月7日。
七夕であると同時に、私の音楽活動において重要な意味を持つ2人のアーティストの命日。
7月7日というとてもおぼえやすい日に逝ってしまった。
人は死ぬと星になるという話もあるけど、まさに星になったと感じてしまう7月7日。
先日のGoodstock Tokyoでのどるしゃあワンマン公演で、その2人の曲を演奏し、既に報告ブログ(7/6 Goodstock Tokyo 報告(どるたん編))も書いたので、公演を観た方、ブログを読んだ方は、ご存じの事。
ひとりは、シド・バレット(Syd Barrett)。
シド・バレットが私にとって、どのように大事な存在、特別な存在であったのかは、このブログ内の『私を形成しているもの』PINK FLOYD そして Syd Barrettで取り上げているので、よろしければ一読お願いします。
シド・バレットが作った曲は、今まで、色々な形で取り上げて演奏してきました。
彼は、70年代前半には精神に異常をきたし、音楽の世界から遠ざかっていて、なかばこの世から消えてしまったような存在だったので、その訃報を聞いた時に、あまり大きな衝撃は受けず「逝ってしまったんだな」という漠然とした寂しさと共に受け止める事が出来た。
少ししてから、しっかりと受け入れ、悲しみ、涙を流す事も出来た。
昨日は、シド・バレットの音源は聴かずに、ピンク・フロイド(Pink Floyd)が彼の事を思い、作ったアルバム『Wish You Were Here』を聴いて、彼の事を偲んだ。
もうひとりはPANTA
昨年の7月7日に逝ってしまったので、昨日は一周忌。
PANTAの事も『私を形成しているもの』頭脳警察『頭脳警察3』で取り上げているし、このブログ内でPANTAと検索すると、ものすごくたくさんヒットする。
本当に特別な存在です。
7月6日のどるしゃあワンマン公演でも、しっかりとPANTAさんに届くように、約束の曲を取り上げたりもしたのだけど、PANTAさんの死を未だに実感できていません。
David Bowieの時と似ているかも。
正直なところBowieの死も、未だに受け止め切れていないのです。
もう8年も経つのに。
これは、Bowieの死を知って数日後に書いたブログ(悲しみを拗らせ中)ですが、未だにこの時と同じような感覚で生きています。
もしかしたら、PANTAは、その時以上か。
1年経つのに、まだ全然実感できてない。
なんとなく追悼イベント的な場所に行っていないのは、実感したくないからかも。
一周忌の昨日も、特にPANTA関連の音楽を聴くこともなく、なんなら偲んでもいないぐらい。(ひどいね)
自分でライヴをやる時には、PANTA曲を多めに取り上げたりしてるけど、別に追悼云々じゃなくても、ふだんから感謝の気持ちでやっていた事が若干ヴォリュームアップしているぐらいの感覚。
PANTAの死と、いつかしっかりと向き合って、受け入れる事が出来るのでしょうか?
いや、しっかりと向き合わなければいけないんだろうな。
なんだかよくわからないけど、わからないなりに、がんばります。
まずは、生きて音楽を続けていく事だな、そこは、しっかりとがんばります。